書店の数はどんどん減ってきているようですが、それでも書店は「本を手に取って直に見ることができる」という意味で私は重宝しています。
本のタイトルがどうであれ、実際に中身にどんな情報が書かれていそうか・・・などはやはり手に取ってチラチラと少しだけでも読んでみることが必要です。
数多く売られている本ですが、そうした書籍には著者の実体験をもとにした貴重な「問題解決方法」が書かれていることもよくあります。
人生で何か困ったことが発生したら、書店で、自分と同じ体験をしてそれを成功裡に乗り越えた人の話を探すと良いとも言えます。
実際にそれを見つけ出すのが難しいのですが、それを簡単にする方法は「毎日(もしくはそれに近いくらい)本屋に通ってさまざまな書籍を流し読みする」ことだと思います。
普段のそうした習慣が自分を目利きにさせてくれます。
自分が抱えている問題が人類史上最初の難題だ、というならどんな本を見ても解決しませんが、まあ、そうしたことはまずもってあり得ません。
自分よりも先に同じような問題に遭遇して何らかの解決をしてきた先人はいるハズです。
どこかの誰かが自分と同じような悩みに遭遇し、それを無事に乗り越え、それを後世に伝えるために何らかのヒントを書き記し書籍に認(したた)めてくれている・・・と信じることが大事です。
「本を読む」ということは、別の表現をすれば「他の人の代理体験をする」ということです。
自分が直接体験しなくても、他の誰かが体験したことをあたかも自分が体験しているかのように仮想の世界で疑似体験できる・・・ということが書籍の役割の一つです。
もし自分が体験しようとしたらかなりの時間とお金と手間ヒマが必要なことを誰かが代わりにやってくれ、そかもそれをたった数百円~数千円程度で知ることができるわけです。
書籍というのは文字情報だけですから自分の頭の中でいかようにも好きなように内的イメージ世界を構築できます。
古来、読書というのは特権階級にのみ許された権力行為で、下々の者たちにはできなかった行為=だから下々の人は基本的に文盲だった・・・と言われます。
私たちは小学生時代から学校で文字・表現を学び、文盲を脱しています。
世界的に見れば日本人はそうした面で恵まれているとも言われます。
そう考えれば、現代において本を読まないということはとても勿体ないことで、まるで自らを奴隷階級に貶めているのと同じ・・・とも言えます。
本を読めばいろんな解決の道が見えてくる・・・と気づき、今秋は「読書の秋」をより実践してみると良いかもしれませんね。