22歳を過ぎると多くの人は社会人として働いていると思います。
逆に言うと、働かないで生きていられる時間は約22年ということです。
働く時間(期間)は人によって違いますが、たいていの人は70歳前後まで働くでしょうから、70ー22=48年≒50年くらいと言えます。
就職活動を経てサラリーマンとしてどこかの企業に就職し、あるいは公務員として役所に勤めるなどして、多くの人は組織の一員として働きます。
日本ではそれが「何となく」常識となってきた感があります。
改めて考えると、なぜそれが常識だとされてきたのか?が不思議です。
就職活動を行なって自分の勤務先を選び、決定するとき、具体的にこうしたことを成し遂げたいんだ!という強い気持ちを抱いていた人はほとんどいないと思います。
何となく流れに身を任せていたら、気がつけば社会人になっていた・・・というのが大多数かと思います。
そして、言われるがままに組織の一員として無遅刻無欠勤+サービス残業を強いられ、一日にして約12時間近く(一日の半分)を拘束され、それが当たり前だ/仕方のないことだ・・・と信じて生きてきたのが昭和世代です。
そうしないと(逃げ出したりすると)生活の糧である給料がらえないから・・・と一種の諦めの構造もありました。
そんな「労働者マインド」で奴隷のように生きる日々が常識になっている人は多かった/今も多いと思います(私もかつてそうでした)。
「労働者マインド」しか持っていない人は常に受動的です。
組織の中では「指示待ち人間」に分類されます。
上司から指示を受けないと動けない、自らの意思で何かをしようとはしない人たちです。
自分の時間と労力を切り売りする形=労働力を提供することで給料を得て生きていますが、これは見方を変えると、「経営者」や「投資家」たちに一種の搾取をされて生きていることと同じです。
長い人生の中ではそうした経験を積むのもアリだと思いますが、それだけしか知らないのはちょっともったいないと思います。
「就労時間×時給」をベースにした収入しか得られないと、その「就労時間」を提供できなくなったらジ・エンドです。
「労働力」を提供できなくなった時点で収入が止まってしまいます。
このような働き方と対極にあるのが、「投資家」であり、「投資家」としての新しい人生を歩むために必要不可欠なのがいわゆる「投資家マインド」です。
「労働者」として生き続ける状態を今スグ完全に捨てることは難しいにしても、「投資家マインド」を持とうと意識し、それを身につける努力を少しずつ行なって生きていくことはいくらでも可能です。
「投資家マインド」を持ったうえで「労働者」としての日常を省みると、まったく別の世界に足を踏み入れた感覚を認識できるようになります。
仕事でも、もはや受動的ではなくなり、指示待ち人間を卒業し、自らの意思で問題発見や問題解決に取り組もうとしたり、会社が持っているさまざまなリソースを活用して変革しようと考えたりもできるようになると思います。
「その他大勢の一人」から「会社にとって必要な人材の一人」になれればしめたものです。
世の中の見え方が変わることでプライベートにおいても人間関係が徐々に変わっていくと思います。