今日は69歳で亡くなった将棋棋士の米長邦雄氏の命日ですが、彼は自身の著書『不運のススメ』の中で、こんなことを言っています。
「ツキを得るのはなかなか難しいと思うが、ツキを失う方法はいたって簡単だ。人道に反することをすれば、容易に状況は悪くなるはずである。
私は東京へ行く汽車に乗るとき、うまくキセルする方法を知っていた。しかし、そんなことをすれば大きなツキを失うに違いないのでやらなかった。悪事を犯さないまでも、どんなに小さいことでも本人が罪悪感を持つならばツキを失う可能性があるのではないか。
『惜福』は大切だ。惜福とは、幸運が来たならば、それをすべて使い切らず、次に残していくことだ」
・・・・・・「キセル」という言葉はもう死語になっているかもしれません。
タバコを吸うパイプのようなもので、吸い口とタバコを入れる口との間にある棒状の筒のことを「キセル」と言いますが、電車に乗ったとき、乗車駅の切符と降車駅の切符だけで料金を支払って、その間の乗車運賃を支払わないインチキのことを昔は「キセル乗車」と呼んでいました。
惜福(せきふく)というのは、「自分に与えられた福や運を使い尽くすことなくとっておくこと」の意味です。
キセルなどの悪事をしたときに、それが誰かに見つからなかったらそれでいい・・・ということではありません。
誰も見ていなくても、「天」が見ています。
「地」も見ています。
「自分」も見ています。
キセルに限らず、そうした行為はすべて自分の人生のツキを落としかねないものです。
人間は精神的に弱い生き物で、ついつい易きに流れてしまう傾向があります。
でも、それは大事な「ツキ」を見放してしまう愚行になるかもしれません。
米長氏の言葉から、そんな戒めを学びたいところですね。