「我を通す人」があれば、他方では「我慢する人」もいます。
前者は後者を見て、「自分の我を通せないなんて弱い人だ・・・」と思うかもしれません。
でも、我を通す人ばかりだと世間は成り立っていきませんし、本当に強い人は自分だけのこと(=部分最適)よりも他人を含めた広く大きな視界で物事を判断するものです(=全体最適)。
我を通す人は「自分が我を通すことができるのは我慢する人がいるおかげだ」・・・と知ることも大事です。
我慢している人がいてくれるおかげで、我を通させてもらっているわけです。
そう考えれば分かるように、「我慢する人」は決して弱い人ではなく、むしろ、忍ぶ心、忍耐する力の強い人・・・だと言えます。
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私は現役時代に、理不尽で人格的に劣る人であるにもかかわらずたまたま私より年齢が高くかつ社歴も長かっただけの理由で私より早くリーダー職に就いて、しかも私の上司となっていた時期があります。
私はいつも上記のような発想をしていましたから、理不尽なことがあっても自分で自分を慰め、鼓舞し、無理やりにでも勇気を振り絞って仕事をしていました。
結局、その人はある段階で会社を追われ、惨めに去って行ったのですが、やはり「正義はいずれ勝つ!」・・・と思ったものです。
我を通す人よりも「我慢できる人」になり、そのうえでその時々の場面でどちらを選択するのがベターなのかを判断するのが良いと思います。