子どものころは自分が行きたいところ(遊園地など)があっても自由に好き勝手に行くことはできませんでした。
子どもなので防犯上の理由もありますし、また金銭的な理由もあったかと思います。
大人になるにつれそうした箍(たが)が徐々に外れていき、割と好きなように自分の行動を拡げられるようになります。
「行ってみたいところ」が明確になっていれば、あとは「そこへ行く」という決断をして、実際にその行動を起こすだけです。
大人には子どもと違ってそうする自由と権限があります。
たとえば、テレビで紹介されていた美味しそうなレストランやカフェに行くこともできるし、雑誌で取り上げられていた隠れ家的な旅館やホテルに宿泊することもできるし、その他テーマパークなど自分がその気になればいくらでも行くことができる場所があります。
海外の国々へ行くことだってそうです。
コロナ禍で制限があったり、休みの問題や費用面での問題もあったりはしますが、子どものころに比べるとはるかにその制限のバーは低くなっています。
「行ってみたいところがあるなら行けばよい」ですし、その選択と決断が自由自在にできるのが大人の特権の一つです。
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投資に関して言えば、大人になってもいまだに子どもの頃のように制限をかけている(しかも自分で自分に!)人がいます。
本当はその制限を簡単に取っ払うことができるし、いくらでも好きなように箍を外すことができるのに、どういうわけかそれができない人たちです。
投資で「行ってみたいところ(やってみたい投資手法)」があるのなら、サッサとその投資をして、自分がなりたいようになれば良いのになかなか一歩を踏み切れずにいるわけです。
なぜその行動を(投資を)惜しむのか?
子どものような防犯上の理由はありません。
きっと目に見えない恐怖心や家計の破綻リスクなどを恐れているのだと思います。
例えて言うなら、東京ディズニーランドに行きたい!ならサッサと電車に乗って舞浜駅まで行けば良いのに、いつまでも「口では行きたい!と言っている」けど、それがどの場所にあってどの駅で降りればよいかも調べようとはせず、ただ「行きたい!」と言っているだけ・・・で、これはナンセンスです。
降りる駅が分かっていて、交通費と入場料と多少の飲食代の用意があるなら後は「行けば良いだけ」・・・です。
それをせず、「神様、私を東京ディズニーランドに連れて行ってください・・・」などと願掛けをしていたら周りからヘンな目で見られます。
投資も同様です。
なりたい自分の未来像が明確になっているのにいつまで経っても投資(自己投資も含む)をせず、心の中で「神様、私を〇〇してください・・・」と願掛けしていたらそれはナンセンスです。
大人は子どもと違って「自己責任の原則」がある代わりに相当な「自由と権限」を有しています。
大人なら行きたいところへ行くがよい・・・という当たり前のことを当たり前に行なう勇気と行動力を持ちたいものですね。