「勉強をすれば良い将来を掴むことができる」・・・という考えは、かつての明治維新前後の時代であればそれなりに正しかったと思いますが、今の令和の時代においてはその濃度がかなり薄くなってきているような気がします。
物資も少なく、技術も乏しく、経済的にも豊かではなかった時代においては「勉強をすればその知識と知恵で人を救うことができる → それが自分の将来を良いモノにしてくれる」だったと思います。
でも、それがやがて「勉強をすると偏差値の高い大学に入ることができ、その大学名を使って自分を誇示できる」と少し歪んだ意味で考える人が増えたように思います。
その結果、「勉学に励む」といっても単に「偏差値の高い学校に進学するための勉学」となり、多くは知識の詰め込み教育となって問題に対する机上の正解を知っているかどうかだけが重要視されるようになってきたと思います。
その後は進学した大学名や企業名を自分のプロフィールに使って自分を偉く見せたいとか、著名人とこれだけ関わりがあると自慢したい・・・といったように、とにかく他人のもの(≒虎の威)を借りて自分を大きく見せたがる人が増え、多くがそれを肯定したのかもしれません。
でも、大学名や企業名に頼っているとその大学や企業にマイナスのイメージがついた場合自分も共倒れになってしまいます。
また、そもそも自分にそれを借りる/使うだけの真の実力が備わっていないなら、本当の実力が見透かされてそのギャップが露呈した時点で信用が失墜します。
虎の威(著名人の力など)を借りて自分を大きく見せている人は、その著名人が虎ではなくなったとき/マイナスイメージがついたときに、世間から一緒くたに叩かれたり、仮にその時点では難を免れたとしてもいずれ何らかのペナルティーを被る恐れ大です。
虎の威を借りて威張らない・・・のがベターですね。
他人はどうであれ自分は自分だという謙虚な気持ちで、自分のことを過大にも過小にも見せず、適切な評価を常に心の拠りどころとして生きていくほうが気楽です。
他所に頼ってばかりいると、いつまで経っても他所に頼ってばかりの人生になって結局は息苦しい人生になりがちです。
やはり謙虚で素直で誠実な姿勢で生きるほうが、人生は楽しくハッピーに暮らせると思います。