一生懸命頑張って会社に尽くしてもなかなか昇給しない・・・どうして自分は冷遇され続けるのだろう・・・などと悩んでいるサラリーマンの人は多いと思います。
日本人は元来勤勉な国民性を持っていると言われます。
そのこと自体は素晴らしいことなのですが、単に勤勉であることがそのままサラリーマンの給料に直結するか?・・・と言えば、そうでもないのが実状です。
給料は決まった日に決まった金額だけ安定的にもらえますが、その原資は顧客からの売上にあります。
売上は商品やサービスそのものに付随しているというよりは、商品やサービスを通して提供される「価値」と交換されたもの、すなわち対価として存在しています。
では会社という組織で「自分が勤勉に働く」という価値と交換して「給料」という対価が支払われているのか?・・・と言えば、厳密にはそうではないことが見えてきます。
勤勉なだけで顧客からの売上が生じるわけではないからです。
勤勉だけではお金は稼げないのが資本主義経済社会です。
必要なのは「売上」ですし、そのためには「適切な商品・サービスの提供」が求められます。
勤勉さは単なるプロセスに過ぎませんが、必要なのは言い換えれば「成果・結果」です。
サラリーマンは、自分が会社、組織、お客さまに対してどんな価値を生み出して提供しているのか・・・が評価されていると知るべきです。
なぜなら、その対価として給料をもらっているからです。
意地悪な言い方かもしれませんが、「勤勉というのは自分の自己満足止まり」で、会社が支払う給料には「勤勉かどうかよりも結果が満たされているかどうかが反映されている」ということです。
良くも悪くも多くの会社社内には「出世競争」が存在しています。
それを望まない人もいますが、そう言っている人の大半は実は「自分が出世できない/出世レールから外れた」ことの言い訳として「自分は出世名なんか望んでいない」と嘯いているだけだったりします。
ヒラ社員から一足飛びで部長職になることはなく、たいていの場合はヒラ→主任→係長→課長補佐→課長・・・などといったようにいくつも職位が分かれて存在しています。
また、社歴が長いことだけをもって順番を待っていればやがて部長になれる・・・というものでもありません。
昨今はそんな年功序列制度はとっくに廃れています。
毎年毎年、優秀な社員たちはタケノコのように下の代から生えてきます。
企業でサラリーマンとして働くなら、そして高給を望むなら、若いうちから意欲をもって「出世」を念頭に仕事に取り組むと良いですし、結果のこだわる姿勢を持ち続けると良いと思います。