
日本47都道府県のすべてを旅行しよう(それぞれの都道府県で少なくとも1泊はしよう)と決めれば、狙いは最低でも「47」個になります。
目先の一つ、二つの都道府県がどんな順になろうともあまり気にしないはずです。
なぜなら、目線は「47都道府県」にいっているので、目先のこと・順番は気に留めなくなるからです。
大目標を掲げると、目先のことは小目標に過ぎなくなり、場合によっては目標というよりも大目標に到達するための通過点もしくは単なる手段に思えてくることがあります。
将来、医者になる大目標をもつと、目先の受験や志望校のことは通過点・手段となりあまり気にしなくなります。
大目標がないと目先の受験のことばかりに気がいき、合格できるだろうか・・・と不安になったりしますが、「医者になる」という大目標に目線がいっていると、もう大学合格は当たり前の通過点になります。
「合格するのは当然・・・」といった感じで、もう受験で不安がることはほとんどなくなります。
人は面白いもので、こうやって遠い先に目線を移すと、目先のことは通過するのが当たり前という無意識が働くようです。
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台湾の什分(じっぷん)では、天燈上げ(ランタン)上げの観光が有名です。
そこでは天燈に自分の願いを3つほど書くことができるのですが、面白いことに日本人の多くは「平和・自由・健康(良好)・戦争が無くなれ・核兵器の廃絶」といったことを書くそうです。
目先の自分の幸せではなく、自分も含めた多くの人にとっての幸せや願いに通じることを書くようです。
我欲にこだわらない姿勢は立派だと思います。
我欲というのは自分だけが気持ち良くなる欲望です。
会社の社長が、自社が属する業界全体の成長や発展を一切考えず、自社の成長だけをいつも考えているとしたら、ちょっと我欲の塊のような気がして残念です。
まともな社長は業界全体を、さらには日本経済を、さらには世界の経済の成長発展を願っているくらいかもしれません。
小さなスケールの幸せなんて、大きなスケールの幸せをイメージした途端にその中に入ってしまいます。
遠くの目線で眺めるクセをつけると、目先のことが取るに足らないことに思えたり、目先のことは単なる通過点だったり手段の一つにしか思えなくなったりするわけです。
大きなスケールの幸せを思い描くことは自分の器を大きくさせるためにも、また、自分の視座を高く大きく持つ訓練のためにも大事なことだと思います。