大学生に「今度の論文試験は20時間以上かけて書いた人にはAをつけて、10時間以内に書いた人にはCをつけて、それ以外の人にはBをつけます」・・・と言ったら、みんな、20時間以上かけて論文を仕上げようとすると思います。
でも、実は学生は知っています。
単純に「時間を長くかけたからと言って優れた論文になるとは限らない」ということを。
優れた論文というのは、別に「仕上げた時間」で判別できるものではありません。
あくまでも「中身/内容」で判別されるものです。
学生はそうしたことを理解しています。
でも、教授がそう言ってニンジンをぶら下げたなら、ほとんどの学生はそのニンジン(Aという評価)欲しさに、ムダに時間を20時間以上を費やして論文を仕上げようとします。
また、それを責めることは誰にもできないと思います。
・・・・・・・・・
大学を卒業して社会人になると、これと非常に似たことが起きます。
民間のサラリーマンとして働く人も公務員として働く人も、実は「その仕事ぶり/内容」ではなく「勤務した時間/就労日数」で給与が支払われます。
論文の中身が大事でそれに費やした時間が大事なのではない、のと同じで、仕事も中身が大事でそれに費やした時間が大事なのではないのに・・・です。
重要なことなのでもう一度書きます。
論文の中身が大事でそれに費やした時間が大事なのではない、のと同じで、仕事も中身が大事でそれに費やした時間が大事なのではない・・・ということです。
ところが、実社会においては中身よりもそれに費やした(であろうと思われる)時間=就労時間で賃金が決まるような仕組みになっていることがほとんどです。
ここに大きな矛盾を感じ取る必要があるのですが、多くの人はこの重要な点にきづかず、そのまま流されています。
流されていくうちにそれが「当たり前」となり、違和感を感じなくなっていきます。
いわゆる(会社などに)染まっていく・・・わけです。
今後はホームワーク/テレワークといった在宅勤務の働き方が珍しくなくなると言われています。
そうすると、就労時間ではなく「仕事の成果物」で評価・管理することが当たり前・・・といった風潮が生まれてくるかもしれません。
特に専門性の高い仕事になればなるほど、就労時間ではなく成果で評価することが世の常識に近づいていくかもしれません。
サラリーマンとして働く人にはぜひ知っておいてもらいたい概念・発想だと思います。