
幼稚園や小学校の運動会で昔には考えられなかったこんな事象が起きている・・・と聞いてビックリしたことがあります(もう20年以上前の話)。
→ かけっこ(徒競走)でゴールでビリになる子が可哀そう/精神的に良くない
→ そこで、みんなで手を繋いで走り、手を繋いだまま一緒にゴールする
→ もしくは、足の遅い子のスタート地点をゴールに近いところにする・・・など。
果たしてそうした教育のやり方が妥当なのか疑問が残るところですが、当時、そんな話を聞いて本当に驚きました。
スタートが同じなのは「公平」であり、ゴールが同じなのは「平等」です。
世の中は「平等社会というよりは公平社会」といったほうが当たりです。
生まれた家庭環境/生誕地等は違うため、完全完璧な公平社会ではありませんが、決して平等社会ではないと思います。
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サラリーマンも入社時は同期と「公平」からのスタートであり、時間が経っても皆同じ給料・待遇という「平等」にはなっていないハズです。
大卒で同期入社でも年齢が同じとは限りませんが、サラリーマンという立場としては皆スタートは同じラインからと言えます。
1年後には配属先や仕事のデキ具合によって同期間でも差がついてきます。
5年後には出世している同期もいればそうでない同期もいるかもしれません。
10年・・・20年と時間が経てば経つほどスタートが同じだった「公平」とはどんどんかけ離れていきます。
中間管理職として働いている者もいれば、役員に手が届いている者がいるかもしれません。
転職している者もいれば、自主的に退職した者もいるでしょうし、無職のままの人もいれば悠々自適に暮らしている人がいるかもしれません。
数十年前は確かに同じスタートラインに立っていたのに、なぜそうした「差がついてしまう」のか?
さまざまな理由・原因がありますが、一つ挙げるなら、やはり「稼ぐ力の身につけ具合」・・・です。
広い意味で言えば「ビジネススキルの差」であり、「人間力の差」です。
ちょっと残酷ですが、それが世の中というものであり、国によっては「スタート地点ですら同じではない」ところも多々ありますから、まだ私たちは恵まれているとも言えます。
いずれにしても、「平等」を求めすぎるのは自分の能力・成長を否定することになるのでやめたほうが良いですし、実際、世の中はさほど平等ではないことに気づくことも大切だと思います。
























