ビジネスでは「利害を関係づける契約を結ぶ」ことが常識とされていますが、海外の国々と何らかのビジネスを展開するときはその契約(契約書)の重要性が特に感じられます。
その際に気づくのは従来の日本の契約書の薄さです。
海外では「疑いを予め排除する仕組みが契約書にすべて盛り込まれている」ことが大前提にあります。
そのため必然的に契約書はかなり分厚いものになります。
日本では阿吽の呼吸というか、伝統的な信頼関係が最初から存在しているからなのか、何となく薄い契約書で契約が成立していますが外国ではそうはいきません。
さらに、日本では薄い契約書・・・と言ってもその契約書の中身を熟読して吟味している人なんてまずいないと思われます。
通常の契約で個人がスマホや保険の契約書をほとんど読まずにサインをするのを思えば、さもありなん・・・です。
まあ、それが良いか悪いかは別として、契約は後々のトラブル時に公正な判断を下すために必要な指針となり得ますからある意味ではとても重要なことです。
逆に言えば、後々のトラブルが起こらなければ契約の中身はさほど需要ではなくなります。
日本では「後々のトラブルが起きにくい伝統があった」・・・からこそ薄い契約書で事足りてきたのかもしれません。
逆に海外では、後々のトラブルが頻繁に起きてきた・・・からこそ、必然的に予防策として契約書がどんどん分厚くなっていったのかもしれません。
未来のトラブルは起き得ない・・・ことを前提とするか、それとも未来のトラブルが起きることを前提とするか・・・の違いですが、前者のほうが人間社会を生きるものとしては良いことのように思えます。
たかが契約書・・・ですが、最近は日本でも予想もつかないこと/想定をはるか超える非常識なことが起こる時代です。
そのため、ますます欧米化して最初から契約書でさまざまなことを縛って警告しておくことが今後は大事になっていくかもしれません。
こちらが当たり前と思っていることも、悪意をもった輩には当たり前でないこと/破ったり覆したりしても罪に問われないことに映る・・・とは半とも世知辛い世の中になりましたが、これも致し方のないことなのかもしれません。
ビジネスを展開するときは、そうしたことを従来以上に踏まえたうえで「契約書」をキチンとかわすことが大切になってきたと思います。