レオナルド・ダビンチは、人の姿を正しく描くには皮膚の下にある「筋肉の状態」と「骨の構造」の2つをきちんと理解しておくべきだと考え、やがて人体の解剖をするに至った・・・と聞きました。
つまり、目に見えているところではなく、普段目に見えないところに重点を置いてそこを深堀りする・・・ということです。
経営についても同じようなことが言えそうです。
何事によらず、本質と呼ばれるものは「深い所」にあり、しかも「見えにくく」なっています。
効果性が高い経営をして業績を伸ばしていくためには、表面に見えるものに惑わされず、表面上では見ることができない何かを探し出し、その研究・追及に取り組む姿勢を持つことが肝となりそうです。
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中国の「秦」時代よりも前の「戦国時代」「諸子百家」「春秋」時代さらには「周」の時代にまで遡ると、「経営」という言葉が出てきます。
周の時代の紀元前800年ごろ、周の詩人の言葉に「祖先文王が霊台(祭壇)を築いて建国のシンボルとしたことを追想して『霊台を経始し、これを経しこれを営す』と詠んだものがあります。
「これを経しこれを営す」・・・そこから「経営」という単語が生まれたと言っても過言ではないと思います。
ちなみに「経する」とは無人の荒れ地を縦に耕していくことを言い、「営する」とはそこに住まいをつくり人が暮らせるようにすることを言うそうです。
そう考えると、経営とは「荒れ地を耕して収穫を生み出し、人々を幸せにする行為を言う」と言えそうです。
企業の倒産原因の一位は、結局のところ「社長に適していない人が社長をしたこと」です。
中小企業の場合だと、創業者が退い後に親族(特に息子など)が継承するケースが多くありますが、これが不幸を招く主な原因につながっていることが多くあります。
要は「社長に向いていない人が社長になって経営をした」ために起きた悲劇です。
経営はその時に最も関係者を幸せにできる人が携わるべきです。
中国「周」の時代でも、現代の社会であっても、国や規模の大小にかかわらず「経営をする者=経営者」には「これを経しこれを営す」ことがきちんとできる人を就任させるべきですね。
うまくいく商売/うまくいかない商売があるわけではなく、うまくいく社長/うまくいかない社長があるだけだと知り、そのための「うまくいく思考」を選択することが大事だと思います。