フランスの作家カミュの哲学的エッセーでシシュポスの神話と呼ばれる話があります。
いわゆる「不条理の哲学」を表明しているものです。
簡潔に言うとこうです。
シシュポスは神々の怒りを買ってしまい、大きな岩を山頂に押して運ぶという罰を受けました。
彼は神々の言い付け通りに岩を運ぶのですが、山頂に運び終えたその瞬間に岩は転がり落ちてしまいます。
同じ行為を何回繰り返しても、結局は同じ結果にしかならないのですが、シシュポスは永遠にそれを繰り返すのでした。
カミュはここで、人は皆いずれは死んですべては水泡に帰すことを承知しているにもかかわらず、それでも生き続けるという人間の姿を・・・そして人類全体の運命を描き出したとされています。
無益で希望のない労働ほど恐ろしい懲罰はない・・・と神々が考えたというのは大変示唆に富むことだと思います。
確かに、人は目的がないことや意味・価値がないことを続けることはできません。
また終わりのない作業には疲れてやる気が失せていきます。
無意味なことを繰り返して毎日を過ごすよりも何か一つでも意義のあることを行なって一日一日を大切に過ごすほうがベターです。
自分のやっていることに何らかの意義を見出すことは大切です。
行動そのもの目的があるのではなくて、行動という手段を通して別の何かの目的実現を目指すことがやる気を維持させると思います。