テレビの謝罪会見などでは、ある組織体で不祥事が起きた際にトップが「責任をとって辞めます」・・・といった発言をしているのをよく見かけます。
中にはふてぶてしく「今の職務をまっとうすることが私が責任を取ることになる・・・」などと言って、自分の職位や権限にしがみついて放そうとしないみっともない輩もいます。
いずれにしても、そういう人たちを見ていて思うのは「あー、この人は(本当は)責任を取るつもりなんてないな・・・」ということです。
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マスコミ(記者など)は、最終的に「辞める/辞職する」ことが責任の追及であるかのように押し問答をしたりします。
いつも疑問に思っていたことなのですが、果たして「責任をとる」ことは「辞めること」なのか???
それは違うのではないか・・・と思いながら私は現役時代にリーダー職を務めてきました。
幸い、私自身が何か重い責任を負わされてテレビやマスコミの前で謝罪会見を行なうことはありませんでした(←これは本当にありがたいことだと思っています)が、「辞めるのはその職位にいる資格がない/その職務を全うする能力がない」からであって、責任云々(うんぬん)とは無関係のような気がします。
「責任をとる」とは、そこで起きた問題をすぐさま解決し、関係者がみんなハッピーになれるようにすること……だと思います。
ところが、たいていの場合はそれができないため問題が大きくなり、結局謝罪会見にまで発展しているわけです。
そうであれば、むしろ「その職位に相応しくない自分であるにもかかわらず、これまでその職位での給料・報酬を得てきたので、お詫びとしてそれを返納します」・・・といったほうが当たりのような気がします。
そして、「責任をとって辞める」ではなく、「責任はとれないのでお詫びとして報酬を返します」、そして「この職位に居座る資質、資格がないことがわかったので自らの意志で辞めます」と言うほうが筋が通っているような気がします。
本当の意味で「責任をとる=責任を負わされる」のは、今後、その組織体に残って残務整理を行なう人たちだと思います。
「責任をとる」とは何ともカッコいい言葉ですが、具体的に何をどうするのが「責任をとる」ことなのか?を経営リーダーは今一度よくよく吟味し再考したうえで社内文化の一つとして根付かせることが大切だと思います。