親がサラリーマンで自分が子どものころ家計が苦しくて思うようにモノを買ってもらえなかった人は、「サラリーマンにはなりたくない」と思うかもしれません。
親が自営業で子どものころ親に遊んでもらえなかったり、休日をとることが難しくてどこにも出かけられなかった人は、「自営業者にはなりたくない」と思うかもしれません。
いずれも自分の親の仕事ぶりを見て育ち、それが自分が不満を抱く原因になっていたと信じることで引き起こされる感情・意思です。
働き方や就労形態に問題があるわけではなく、親や自分の人生観/物事のとらえ方/意味づけの仕方に原因があるといえます。
どんな職業でもお金を稼ぐ人はいますし、休日をしっかりとって余暇を家族で過ごす人はいるものです。
大事なのは「自分がそうしたいと思うか」であり、「他を排除してでもそれを優先して行ないたいと思えるか」です。
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社会に馴染めず「自分は仕事人間にはなりたくない!」とどんなに声高に叫んだところで、収入が無ければ人は生きていくことはできません。
住みたい住居に住むことはできないし、食べたい食事を食することもできないし、子どもが通いたい学校に子どもを通わせることもできません。
趣味、習い事、プライベートを謳歌することもできません。
生きていく・・・人生を楽しむ(謳歌する)には、それなりのお金が必要です。
それを今の会社勤務=給料だけで賄えるならそれも良しですが、もし、そうではないとしたら「何らかの次善策」を講じることを考えることが必要になります。
本業の給料以外での収入/稼ぐ方法を持つことが求められるわけです。
また、年収が高くてもいつも多忙な状態でランチもゆっくりとれない・・・というあわただしくてせっかちな時間を費やすのは勘弁願いたいものです。
自由な時間を大切にする/家族と過ごすことの大切さに則って、有意義な人生を送りたいと思うのが一般的な人の感情だと思います。
サラリーマンであれ自営業者であれ親の世代が仕事に没頭するのは家族の生活を維持するために必要なことでした。
しかし、時代が変わり、必ずしもそんな隷属的な働き方をしなくても仕事に縛られずに自由な時間を手に入れることができる世になりました。
昭和サラリーマンのように、たとえ高収入だったとしても「仕事だけに勤しむ会社人間」の人生は送りたくないとまず自分自身が決意すると良いと思います。
叶えたい願いを成し遂げられる人生を過ごす・・・仕事とプライベートとの両立を図り有意義な生き方の軌跡を残し、子どもには辛い思いをさせないようにしたいですね。