臆病者は幸福さえも恐れる。
by 太宰治
幸せが大きくなるほどかえって不安になっていく・・・というタイプの人がいます。
それは幸福の絶頂が高くなればなるほど、そこから転げ落ちるときの落差も大きくなって余計に不幸感が強まるから・・・だそうです。
ネガティブ思考だと言えばそれまでですが、せっかくの幸福感をしみじみと感じ入られず、後々の「失ったとき」のことに強く思いを馳せてしまうとは何とも皮肉なものです。
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2022年度「生活保障に関する調査」によると
Q. ご自身やご家族の将来をどのようにしたいか、そのための経済的な準備をどうしたらよいか、といった具体的な生活設計を立てていますか?
という質問に対して
「生活設計あり」と回答した人は39.9%
「生活設計なし」とした人は51.5%
だったそうです。
私は常々「ライフプラン/マネープラン」を作成し、それに沿って生きることの大切さを説いていますが、上記統計をみると実に半数以上が将来の生活設計をしていないということがわかります。
悪く言えば「日々を惰性で生きている・・・」ようなものです。
何の目標も夢も計画もなく低い山に登ることで安心するより、多少の難はあっても高い山に登る試練を自分に課して自分を成長させるように仕向けるほうが長い目で見てベターです。
低い山はそこから転げ落ちてケガをする危険がない、という点では安心ですが、でも、自分にかける負荷が少ない以上成長が望めません。
妥協に妥協を重ねて、この程度でもまあいいか、という気持ちで人生を過ごしていくと、将来高いところから転げ落ちる不安は解消されるかもしれませんが、その不安の代わりに「不満」は溜まっていくかもしれません。
幸せの山が高いと「不安」が生まれ、低い山だと「不満」が生まれる・・・というわけですが、要はどんな生き方をしても自分が気持ちを切り替えない限りそこには何らかの苦しみが生じてしまいます。
そんなもったいない生き方はしないほうが得策です。
これを逆転の発想・視点で捉えると「安心」と「満足」になります。
要は焦点の当て方・・・物事の捉え方の違いです。
同じ出来事・物事でもその捉え方次第で良くも悪くもなる/真逆の感情になり得る・・・ということです。
ネガティブに捉えず、ポジティブに捉えるほうが人生ベターだと思います。