唯我独尊(ゆいがどくそん)と言うと、「自分が一番偉い・・・」といったように傲慢な意味に解釈されがちですが、本来はそうではなくて「生きとし生けるものすべてはそれぞれであり、等しく尊いものである」という意味とされています。
他と比較しないことを仏教語では「無分別」と言うようですが、それと唯我独尊を絡めると「私は私、他人は他人なり」という共存自尊の精神が見えてきます。
そこには「私はこれで十分なのです」といった「知足心(足ることを知る心)」もあると思います。
京都の龍安寺(りょうあんじ)にある「吾唯足知」のつくばいも有名ですね。
■参考:過去ブログ『知足(ちそく)のつくばい』
http://ameblo.jp/superameba/entry-11881915478.html
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「足ることを知れば貧といえども富と名づくべし財ありとも欲多ければこれこそ貧と名づくべし」(これで十分と思っている人はそれは貧しいとは言わず富める者といえるが、いかに財産があってもまだ足らないと思うようならそれは貧しき人である)
これは、源信が『往生要集』の中で言っている言葉ですが、まさに「知足心」を諭していると思います。
昨今の日本社会では、常に他者との競争や他者と比較しての相対的幸福観を追及する人や企業が多いと思います。
それもまた一つの考え方であり、長い人生の中で経験することは大切だと思いますが、世界を旅すると、それよりもむしろ「唯我独尊」の境地を知ることの重要性を悟れます。
大切なのは、何事も程度が大事ということであって、貪欲になりすぎると人は「慳貪(けんどん)」という欲深で慎みのない卑しい域に入り込んでしまいます。
儲かれば何をしても良い! とか、お金がすべて! とか、権力・地位といった即物的なことに執着する気持ちや発想は持つべきではないと思います。
足ることを知り、十分であることに感謝する心を持つことが大切ですね。