小学生の頃はクラスに必ず勉強ができる子とできない子がいましたし、走るのが早い子もいれば遅い子もいましたし、見た目が美形な子やそうでない子がいました。
当時、それを誰も「格差」だとは言いませんでしたが、考えようによってはそれも一つの「格差」と言えるかもしれません。
いつのころからか「格差社会」・・・という言葉が用いられるようになりましたが、常に「格差」は存在しています。
資本主義社会では「競争」が当たり前なのでどうしても「格差」は生じてしまいます。
大事なのは、そうした「差」を嘆いたり文句を言ったり罵詈雑言を浴びせても何も変わらない・・・ということを認識し、差を埋めたければ自分が努力して改善・変化するしかないと悟ることです。
「格差」を毛嫌いして忌み嫌うのではなく、むしろ自分が一念発起して羽ばたいていくための起爆剤のようなものととらえ、敵ではなく味方にする発想のほうがベターだと思います。
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「衰退する企業と発展する企業の差」というのは改善・工夫の差です。
立地に差があるとか、資本金に差があるとか、原材料費の仕入れに差があるとか、そんなことに文句を言っても無意味です。
そんな格差はどこにだってあります。
本当はすべての企業が放っておけば衰退していくハズですが、そこで衰退しないように考え、工夫し、改善と改良を繰り返し、より良い自社企業に変化していくことで衰退せずに済みます。
ダメになるかどうかは、そこで何を考え、実践するかだけの違いです。
「小人閑居して不善を為す」という諺がありますが、人は何もしないでいると少しずつ堕落していく性質を孕んでいます。
「格差」を嘆き、自分の宿命を呪うのではなく、格差は昔からあるもので自分を成長させてくれるヒントを与えてくれている・・・と前向きにとらえ、格差を糧にしようとする発想をすると良いと思います。