
東京では小学受験や中学受験に臨む子が多くいますが、目的は「私立学校への入学」です。
地方に行くとそんなに私立学校が存在していないので多くは公立学校へ進みます。
私も公立派でした(小学校~高校まで)。
公立学校と私立学校とでは、圧倒的に公立学校のほうがマス層です。
そこで養われるマス層に対するバランス感覚が大事で、大勢の中で社会生活を学び、多くの人の発想や考え方を知ることはその後の人生で少なからず役に立ちます。
それを身に着けるのが学校だとすれば、公立学校の役割は重大です。
公立学校には公立学校の良さがあり、私立学校にはない良さもあると思います。
一方、私立学校にも私立学校の良さがありますから、どちらが良い・悪いではなく、あくまでも選択肢の一つでその基準になるのは価値観や哲学だと思います(主に親の)。
言えるのは、どんな学校に進んだ子であっても、やがて巣立っていく時期が来る・・・ということです。
20代にもなれば社会人として、大人として、自立して、自分の力でお金を稼いで生活を切り盛りしながらいきていくことになります(一部の親に依存している人を除いて)。
社会に出れば、子どもの頃の学歴なんてほとんど意味がないことに気づけます。
親もそうしたことに気づいているハズなのにあえて自分の子どもには学歴社会の偏重を味わせようとする・・・という不思議な面があります。
お金を市場から直接稼ぐ能力があると教育に関して考えが変わります。
大人になって必要となることの大きな柱の「お金を稼ぐ」ということ、そして「その稼ぎ方はいくらでもある」ということを親は子に早いうちに伝えておくのが良いと思います。
学歴が無くても稼ぐことは可能です。
稼いでいたらコロナ禍だろうが関係なく生活ができます。
ある意味ではお金を稼げば稼ぐほどより人間らしさに近づくことができます。
お金を稼げず「歯車思考」になるのはうまくないと思います。
小学校~大学までの「6年+3年+3年+4年=16年」という年月を通して子どもに何を教育するのか?
選択肢を増やす方法/適切な判断力と決断力/自由に生きられる生命力/幸せに生きる精神力と行動力・・・などを教える過程で「学校の履歴はただの通過点に過ぎない」ことを教えることは大切だと思います。