
私は、中学・高校と軟式テニス部に所属していました。
当時は体育会系という言葉が強く、先輩後輩の立場は絶対で、後輩が先輩の意見に反対するなんてことは決して許されない風潮・時代でした。
でも、思っていました。
別に先輩が自分より偉いわけでも常に正しいわけでもない・・・先輩だって普通の人だし、先輩だって間違えるし、部活動を離れればタダの人に過ぎないのに・・・と。
たまたま自分よりも1~2年早く生まれて早く入学しただけ・・・で、能力・実績が自分より優れているわけではない・・・と。
実際、テニスをすれば自分のほうがうまかった(勝った)し、スキルも上でした。
同じように考えれば、学校の先生だって別に偉い人ではなく、あくまでも普通の人です。
これは決して見下しているわけではなく、ちゃんとリスペクトはしたうえでの客観的な見立てです。
世間には性犯罪で捕まる先生がいることからも、「先生は聖人だけ」ではないことは間違いないし、先生だって間違えることもあれば知らないことだってあれば、苦手なことだってはあります(つまり普通の人と同じだということです)。
言い方は悪いですが、たまたま教員採用試験に受かっただけで、中には人格的に尊敬できない残念な先生もたくさんいると思います。
政治家だって同じです。
たまたま代々政治家の家系に生まれただけで本人も政治家になっているけど、特段政治手腕が優れているとは思えない/むしろかなり劣っている・・・と思われる人はたくさんいます。
政治家だっていろいろ罪を犯し、逮捕されますから決して聖人君子ではありません。
会社組織を見れば、デキない上司/ダメ上司が存在します。
何の因果で今の管理職に就けたのか分からないけど、とても人として尊敬できないし、マネジメント手腕もなく、リーダーシップもない・・・という残念な人は一定数います。
自分に自信を持てない人ほど卑屈になり、他人の言うがままに従うことが自分の生きる道と考えてしまう人もいるようですが、そんな生き方はもったいないと思います。
他人はどうであれ、自分は自分です。
他人に迷惑をかけない生き方の範囲内で自分の人生を謳歌すれば良いと思います。
卑屈にならないためにも自己啓発し、研鑽し、いろんなことを学び、実力をつけ、能力を磨き、他者に文句を言わせないほどの結果を出し、自分の好きなように生きていくのが良いと思います。
そうやって本当の意味で人生の豊かさを手に入れていくことが大切だと思います。
























