昭和時代初期のサラリーマンの悲しい性(さが)として、「自分は会社に養ってもらっているんだから会社に滅私奉公するのは当然だ・・・」という思い込みがあります。
そういう人は、結局「会社のために自分は働いている」というヘンな感覚がどこかにあって、何となく責任感に欠け、どこか他人事の感で仕事に向き合い、妙な妥協グセがついていたりします。
おまけに「自分は会社のためにこんなに自分や家族を犠牲にしている!」というヘンな驕りもあって、他人に感謝するどころか他人から感謝されることを密かに望んでいたりします。
結果として、仕事の内容にはあまり高品質なものはなく、詰めも甘く、同じトラブルをよく起こし、サラリーマンとしても人間としても魅力に欠けていたりします。
そして、その反面で常に恐れているのは「クビ」宣告です。
恐らく、世の中で一番恐れているのが、この「クビ」を言い渡されることだと思います。
そんな昭和時代のサラリーマンも今では少なくなってきました。
良い・悪いは別として、滅私奉公の概念が平成になってからかなり薄くなり、多くの人は会社よりも「個(自分)」を大切にし、終身雇用という枠組みに囚われることも少なくなりました。
それでも、相変わらず「他人事で働く意識」だけは健在で、当事者意識の低いサラリーマンは多く存在し続けています。
ここが今後の大きな課題の一つだと思います。
「当事者意識を持つ」ことはサラリーマンからビジネスマンに転じる一つのきっかけになるかもしれません。
当事者意識を持つと、会社からの「クビ」宣告を不要に恐れることが少なくなり、常に「クビでも構わない」といった覚悟をもって仕事に臨む姿勢になります。
その姿勢こそ、仕事を本気でやるために必要なことだと思いますし、その覚悟なくしてビジネスマンに転じることは難しいと思います。
まあ、実際、普通に真面目に働いていたら、クビになることなんてまずあり得ないことです。
それほど深刻に不安になる必要のないことだと思います。
会社のため/他人のために働くのではなく、あくまでも自分のため/自分の家族のために真っ当な仕事をしているという自負と誇りが大事です。
自分のために働いているビジネスマンは極論を言えばクビになる覚悟をもっていますし、また、自身がクビになるハズがないという自信も持ちあわせています。
それが周囲から見ると魅力的な人に見えたり、頼りがいのある人に思えてくるのだと思います。