聖書に「狭き門」という言葉があります。
日本で「狭き門」という言葉が使われるのは、例えば大学受験や資格試験などで合格が難しいこと/難関であることを示す場合が多いと思います。
多くの人が殺到してその門自体が通過を望む人に対して狭くなっていることを指すわけです。
ところが、新約聖書マタイ伝の一文はちょっと意味合いが異なるようです。
「狭き門より入れ。
滅びに至る門は大きく、その路は広く、これより入る者は多し。
生命に至る門は狭く、その道は細く、これを見出す者は少なし」
つまり、みんなが通っているような大きな門や広々とした通りというのは滅びに至る路であるということです。
そして、生き残れる道というのは狭く、細く、誰もそれを見出さないような道である・・・ということを言いたいようです(精子と卵子の授精を考えるとわかりやすいかもしれません)。
実際、こうしたことが当てはまるケースは、人生においてそれなりによくあるものです。
会社内の会議でも、みんなが良いというのは少し警戒したほうがベターであることが往々にしてあります。
「人の行く裏に道あり花の山」という相場格言がありますが、この聖書の言葉が言わんとしていることと似ているような気がします。
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不動産投資では、入居者がいて購入してすぐに家賃収入を得られる物件というのはとても魅力的です。
でも、その分物件の購入価格は高くなるのが当然であり、購入する側から見れば一つの壁・難点です。
一方で現在空室の物件というのは購入してもすぐに家賃収入がなく、いつになったら入居者がつくのかもわからないため収入を得られないリスクが高くなります。
だから多くの人はこうした空室物件に食指を伸ばさず、見向きもしないことも良くある話です。
でも、逆に言うと、物件価格は交渉次第で安くなることもしばしばです。
そうしたところ(人の行く裏/狭き門)に思わぬ幸運が待っているかもしれません。
最初からラクして儲かるような物件も良いのですが、ある程度の経験を積んできた人なら、ちょっとだけ泥にまみれて購入後に入居付けを頑張ることで大きなリターンを得る道を選んでみるのもアリだと思います。
狭き門を選ぶ/あえてイバラの道を進む・・・というのも、長い目で見れば自身の成長には有効になると思います。