運が悪い人は、よくよく見れば自分の周りの不満を探すクセがあるように思います。
まるでどこかに不満の種が落ちているかのように目を皿にしてそれがないかを探しています。
自分の目を使い、耳を使い、口を使って探し続けるので、いずれ本当に見つけます。
ところが、周りの人はそんなことは望んでいません。
なぜなら、そうしたことを聞かされると自分の気持ちが落ち込みイヤな気持になるからです。
見つけたほうも不機嫌になり、周りも不機嫌になります。
何も良いことなんてありません。
周りに疎んじられる・・・迷惑をかける・・・だから自然と運気が下がり、運が悪いと言いたくなるような人生を歩むようになるという悪循環があるのかもしれません。
不機嫌の種をまき散らしてはいけないですね。
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あの時あの選択をしておけば良かった・・・と後悔しても後の祭りです。
後悔することで何かが変わるのなら良いのですが、たいていの場合は後悔によって変わることなんて何もありません。
だから、後悔という二文字は忘れたほうがベターです。
後悔で出てきたもう一つの別の道は実際には選んでいないのだから考えても意味がないし、もしかしたらその道を選んでいたらもっと問題が大きく起こっていたかもしれません。
未来のことをあれこれ考えるのはまだしも、過去のことをあれこれ考えることにあまり意味はない、と知ることも大切です。
また、問題のない道が正しい道ではありません。
結局、どの道を選んでも必ず問題は出てくるものです。
問題は自身を成長させてくれます。
問題がない道というのは、言い換えれば「自分の成長がない道」ということです。
人生は「どの道を選ぶか?」よりも、「選んだ道から出てくる問題を乗り越え続けられるかどうか」のほうが大事です。
何歳になっても同じです。
歳をとっても問題は起きます(それも想像もしなかったような問題が)。
「問題」という言葉で捉えるのではなく、「課題/自分が成長するための関所・休憩地点」という言葉や意味合いで捉えるほうが良いと思います。
人生は何歳になってもまだまだ成長期だと知り、日々成長を合言葉に生きる姿勢が大切ですね。