子どもの躾の一つに「辛抱することを覚えさせる」という概念があります。
「我慢する」ことを覚えさせることです。
赤ちゃんは自分の思うようにならないことがあればすぐに泣きます。
子どもも泣き喚くことがありますが、ここで「辛抱/我慢」をどれだけ覚えさせるかで大人になってからの「精神的強さ」が大きく変わってくると思います。
辛抱できない子どもが大人になるもう泣き喚くことはできませんが、そういう人はすぐに逃避行をしようとします。
さらにはその逃避行を正当だと思い込むようになり、都度逃避行の繰り返しをします。
転職ばかりを繰り返して一つの会社に長く勤められないような人はその傾向があります。
例えるなら、お湯を沸かすのに時間がかかることが我慢できない/辛抱できないで、常に冷たい水か生ぬるい水(湯?)しか手に入らないようなものです。
良識のある人なら誰でも知っているように、水をお湯に変える(沸かす)にはそれなりの時間が必要です。
時間をかければお湯になるのに、その時間を待つことができない(辛抱できない)といつまで経っても水の変化した状態(=お湯)を見ることも味わうこともできません。
人生も同じで、ちょっとの我慢/辛抱によってそこから新たな人生が拓けるのに、その我慢ができないがために新たな境地の世界に足を踏み出せずにいる人がたくさんいます。
子どものころの躾(我慢すること)が不足していたまま大人になったのかもしれません。
でも、今からでもその躾を身につけることは可能です。
何かを今は諦めて捨ててその代わりに別の何かを得る・・・。
面白いことに、捨てたり諦めたモノが後から手に入ってきたりします。
今は清貧な生活でお金を貯めておき、そのお金をいずれ投資にまわすことで将来はお金に困らない人生を手に入れることができます。
たった数年の我慢/辛抱・・・です。
数年意識して耐えることで将来の安定を手に入れることができるとしたら、その選択肢を選ぶのは決して間違ってはいないと思います。
「我慢」というのは一種の投資のコツなのかもしれません。
逆を言うと「横着」というのは「将来稼げていたはずの金額を捨てる」ようなもので一種の浪費みたいなものかもしれません。
最近、自分は何かを我慢して別の何かを手に入れようとしたことはあるだろうか?・・・今の自分は辛抱強さが身についているだろうか?・・・と自問自答してみると良いと思います。
我慢ばかりの人生もつまらないですが、別に何かを得るための建設的な我慢/辛抱を身につけることは大切だと思います。