昔のことですが、ネパールで大きな地震があったとき、「日本が建てた小学校だけ」が崩壊しないで残ったそうです。
それだけ日本の技術力が優れていた/建築基準が高い位置にあった・・・ということだと思います。
日本では、建物について「旧耐震構造物件」と「新耐震構造物件」があります。
当然、後者のほうが地震に強い構造です。
今後、日本において大きな地震がないことを祈りますが、仮に起きたとしても建築基準を適正に満たしているならそうそう崩壊の心配がないのが日本の建物だと思います。
大事なのは「基準をどこに置くか」ということだと思います。
・・・・・・・・・・
昔話の一つに「3匹の子豚(ブタ)」があります。
一番目の子ブタは「藁(わら)」で家を建てたものの、オオカミがフーフーと息を吹きかけて藁を吹き飛ばし、子ブタを食べてしまいます。
二番目の子ブタは「木の枝」で家を建てますが、結局一番目の子ブタと同じ運命をたどります。
三番目の子ブタは「レンガ」で家を建てます。
すると、オオカミはどんなに息を吹きかけても家は崩れず、子ブタは無事に生き永らえることができました。
【教訓】
〇 モノを作るときは手早く仕上げるよりもたとえ時間や手間をかけたとしても頑丈な材料を使ったほうが安全
〇 モノ作りに限らず、勤勉な人間であるほど後に大きな結果を残せるようになる
時代は流れ、細かいことを言うと、たとえレンガで作った建物であっても、それ以外の各種基準を満たしていないと、現代社会においては地震があったときにヤバいです。
これを「サラリーマンの収入の得方」になぞらえて言うなら、もし、地震に相当する変動が会社や自身に起きた場合、基準が適正に満たされていないとヤバイです。
昔のままの発想や考え方では時と場合によっては辛い目に遭います。
以前、高度成長期は「サラリーマンである」というだけで、ある意味で「成功/安泰」でした。
それが、バブル崩壊・・・リーマンショック・・・コロナ禍・・・などさまざまな地震(←例えです)が起き、「サラリーマンである」というだけでは生き残りが難しくなりました。
時代はいつも過去よりも難しい方向へと変遷していきます。
地震前からちゃんと「耐震」を前提に建てられた建物と、そうではない建物とではイザ!というときの安心感が全然違います。
「時代の変化」を前提に稼ぎ方をいろいろ身につけた人とそうではないタダのサラリーマンとでは人生後半の生き様に大きな差がついてきます。
自分の中の基準を高く持って、不測の事態に陥っても安心して生き永らえられるようにしておきたいものですね。