夢を持っている人は多いと思います。
でも、その多くの人の夢は実現されないまま、いつしか雲散霧消していきます。
人は霞(かすみ)を食って生きているわけではないので、夢の実現より優先して行なうべき「お金の確保」を先行せざるを得ない・・・のが一つの原因です。
お金の確保に費やす時間だけで日々の時間の多くが過ぎてしまうため、夢の実現に時間を割くことがなかなかできず、つい後伸ばしにしてしまいがちです。
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「お金を稼ぐ」ことを真剣に考えることは確かに非常に重要です。
社会人になってからの人生は、まさにこの「お金を稼ぐ」という行為で大半が使われるわけですし、「お金を稼ぐ」ことについて考えることは「人生をどう過ごすか?」を考えることに通じます。
その結果、従来の多くのサラリーマンは、「生きていくためにはお金が必要で、「お金を得るためには働く(=就労する)しか手段はない」・・・という発想に縛られ、それがいつしか常識化して、その概念から抜けられずにいます。
それが当たり前・・・だと皆信じ込んでいます。
ところが、これは子どもの頃から教え込まれて育ってきた概念に過ぎず、本当は当たり前ではない・・・と気づく人も中にはいます。
「お金を得るためには自分が就労して働くしかない/そうすることが当たり前である」・・・と大人になった後も信じ込んでいくかどうかが重要な分岐点になります。
賢い人は、その限りではない・・と、ある段階で気づきますが、多くの人はその域に達することができずにいると思われます。
それは、周りにそうしたことを気づかせてくれる人がいないことも一つの原因だと思います。
お金を得るためにはいくつかの方法があって、「自分が就労する」というのはあくまでもその一つにすぎないと気づくことが大事です。
また「お金を得る」ことは別に人生の最終目的ではなく、自分の夢を実現する人生を歩む過程でたまたまお金が必要不可欠だからお金を得ることも人生では経験していかなければいけない・・・というプロセスの一環に過ぎません。
お金を得るには「自分が就労する」以外にも「自分の資産に就労してもらって、自分の資産がお金を稼ぐ」という手があります。
それが就労収入に対する「権利収入」であり、一つが「投資による収益」です。
日本ではどちらかと言うと「自分が就労すること以外でお金を稼ぐこと」をまるで悪であるかのように教えこんできた感があります。
「長い期間をかけてお金を稼がないと人は生きていけない社会」という概念が人々の意識に刷り込まれていつしか構築されてきたのは残念なことです。
「お金を自分が就労することで稼がなければならない」という冷酷なルールの下で、自分の人生の大半をつぎ込むことに何も疑問を持たずに生きている・・・そんなサラリーマンがとても多いように思えます。
そんな縛りから解除されて、もっと自由な発想で考えられるようになると良いですね。