食欲の秋・・・ですね。
私は食べ物の好き嫌いが特にありません。
これはそんなふうに育ててくれた親のおかげだと思っていますし、これによって食べ物に限らずどんなことにおいても中立・客観的に捉えることができるようになったと思っています。
逆に言うと、食べ物の好き嫌いがたくさんある人(少しくらいはかまいませんが)というのは、主観的見方が強く出る人で、物事を客観的に捉えることが不得手のような気がします。
まあ、一種の偏見かもしれませんが、これまでいろんな人を見てきましたから、まあ、そう間違ってもいないと思います。
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好き嫌いが多いということは、逆に言えばいつも同じモノを繰り返し食べているということ(=偏食)が言えます。
それは新しい物事を受け入れることが苦手だとも言えるかもしれません。
でも、時代は刻一刻と変化していますし、人はその変化に適応していかなければいけませんから、人生においては新しい何かをたとえ消極的であっても受け入れ、使いこなす(≒消化する)という心構えが必要です。
その根元にあるのが食べ物なのかもしれません。
好き嫌いの壁を突破することすらできない人が、ビジネスや人間関係で直面するさまざまな難関の壁を乗り越えられるとは思えません。
だから、そうした人は「乗り越える/克服する」よりも「避ける/逃げる」という手を使っていつもコンフォートゾーンの中で居座っていることを選ぶように思えます(コンフォートゾーンとは居心地の良い場所や領域という意味)。
好き嫌いがいけないのではなく、あまりに多すぎることがダメだということです。
中には開き直って「私はそういう(好き嫌いの多い)人間なのだ」と宣(のたま)う人もいますが、ビジネスでもプライベートでも開き直って何かを主張する人は傲慢な人間だと思われるのがオチです。
あまり得策とは言えません。
その人の心の狭さ、キャパの小ささ、自己肯定感の低さ、柔軟性の無さ・・・などを表しています。
また、その結果、そういう人ほど、人生で(特に人間関係において)すぐにトラブルを引き起こす(招く)習性があるように思えます。
→ さまざま検討していくと、こうしたことの主な原因はやはりその人の親御さんの躾に問題がある(あった)と思います。
親御さんを批判するつもりはありませんが、自分が親の立場なら子どもにたくさんの好き嫌いはさせない/許さない・・・という意識で躾をすることが大事だと気づけます。
不思議なことに子どものころは嫌いで食べられなかった食材が大人になると普通に食べられる・・・ということはよくある話です。
食べ物でも、人間でも、多少の好き嫌いはあってしかるべきですが、あまりに多すぎるのはうまくないと思います。
努力して嫌いな食材を減らすほうがベターで、それは徐々に自分の人生に良い影響を与えてくれることになると思います。