高校生までは、学校の授業に出席しないと誰かに叱責されます。
ところが大学に進学すると、基本的に学校の講義に出席する・しないはかなり緩くなり、欠席しても叱責する人はいないため学生は徐々にラクなほうへと流れて欠席するという安易な選択肢を選ぶことが多くなったりします。
せっかくお金を払って入学して授業料を納めているのに何とももったいない話ですが、そうなってしまう背景の一つに「大学の講義はつまらない/面白くない」ということも挙げられると思います。
大学で講義を行なう教授・講師というのは、他人に教えるプロではなく、自分の興味が赴く範囲のことを研究しているプロです。
講義では学生が自発的かつ自律的にキャッチアップすることを前提にして伝えるだけ・・・そこでついて来られた人だけを対象に深く共同研究する・・・というのが大学教授の基本姿勢です。
「もっと上手にわかりやすく教えてください」と言って良いのはせいぜい予備校や学習塾の講師に対してまでで、大学の教授陣には通用しません。
予備校や学習塾の講師と違って、大学の教授陣は一種の求道者・研究者ですから「相手の立場になって考える」という顧客概念を持っていません。
あくまでも自分中心で自分の立場で伝えるだけ・・・です。
こうしたところに「大学の講義はつまらない」原因があると思います。
でも、突き放されて「自分で掴んでみなさい」というところからもがき苦しんだ結果、「あー、そういうことだったのか!」と気づくプロセスも大切な経験の一つだと思います。
そこに新たな学びや修業が生まれます。
能動的に行動する習慣をここで身につけた人と身につけられなかった人とではその後の人生のレールが離れていきます。
能動的に動いて自らの手で何かを摘み取るという楽しさを知らないまま大学を卒業し、社会人としてサラリーマン勤めを始めた人は、会社に入っても常に受け身の姿勢で自ら動こうとしない傾向があります。
サラリーマンからビジネスマンに転身していける人というのは当然そうした受け身の姿勢の人ではありません。
人生では「反面教師」という言葉が活きてくる機会も多々あるものです。
大学の講義はつまらないことが多いものですが、それを逆に捉え、ポジティブに受け入れて、自分の成長の糧と化する意識を持つことが大切です。
そうした発想・思考回路を身につけること自体が自分の人生を好転させてくれると思います。